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ホーム > コラム一覧 > コラム 新年度への期待

 桜咲く4月がやってきた。ぴかぴかのランドセルを背負う新1年生が桜の下をくぐるようにして校門を入っていく美しく輝いた姿が見られるのもこの時期である。新入社員が胸を張って将来への夢を膨らませて社屋の玄関を新装の背広姿で通って行くのを見られるのも、このときである。そして、それぞれがその胸には大きく羽ばたこうとする将来への夢が隠されているのである。

 新年度はなんといっても未来がある。理想の夢が存在している。幾たび迎えても新鮮な気持ちで決意を新たにできるものである。今年は団塊の世代といわれた人たちが退職して、第一線から後退するといわれ、新時代を構成する若くなった世代が浮上していく時代で、世代交代や人が変わって新しいし、羽ばたいていく未来像を与えてくれる。人事異動も、これ又、大きな期待を抱いてもいいものである。

 4月は大阪府も定期的な異動が行われる時期である。障害者福祉を担当された過去の担当者も異動によってそれぞれの部署に赴任され、輝かしい大阪の福祉を作り上げてこられたのである。近年は、大阪における障害者福祉は頭打ちで終わってしまった。障害者自立支援法が制定されてそれに対応する大阪らしい福祉の姿勢が取れなかったため、国が右辺作動すれば、右往左往するだけの能力しか示さなかったため、的確な施策も講じられなかった過去になかった障害者福祉対策であった。

 明治の時代から、社会福祉については、他の都道府県よりも一歩先んじた施策を講じていることで有名となっていた。それがどうしたものか、ここ2・3年前から現れてきた後ずさりするような姿が見えてきたのが大阪府の福祉が、特に障害者福祉では万博開催以後全国の先導的役割を果たしてきたものを、咲きすぼみをした寂しい感じがする対応に終わったのは限りなく残念である。

 障害者教育も大阪から門戸が開かれて全国へ波及していったものである。大阪府の福祉には、ひとつの誇りと、常に先進する自負心があった。それは、奈良時代の歴史に残されている光明皇后の悲田院の施事業や、大正の方面委員制度の実施など、その時代の福祉を先取りした大阪にとって誇りを持ってきた「大阪の福祉の心」である。

 本年は統一地方選挙が行われ、大阪府でも府議会議員選挙、大阪市・堺市の政令指定都市や市町村議会議員の選挙が行われる。大阪府知事・大阪市長の選挙は、本年末、来年初めに行われる。これもまた新時代を作るひとつの事柄である。知事選や府議会議員の選挙は大阪を変える大きな起因となることは、過去の歴史が語っている。このことを思えば大阪にも花咲く春がまだまだやってくる希望が持てるのである。私たちは、その時代の到来を夢見て待ち望んでいくとともに、次の時代に障害者の福祉のあり方をどのように求めていくべきかを考えなければならないのではないだろうか。

 自立支援法に対しては、その基礎理念をもっと正す必要があるのではないだろうか。概念的に処理されている「自立」ということに国が、地方が負わなければならない基本理念を明確にしなければ単純に介護保険との統合論が浮上してくるのである。障害者の自立とは、健常者との差をなくし、出来るだけその差を縮めるための支援を行うということである。現在では保護されているにすぎないし保護より一歩も出ないという施策・制度に終わっている。障害区分の認定に現れているように何が出来るとか出来ないという判定に終わっており、自立するために行わなければならない支援を見出すという方策が講じられていないのでは期待も希望も持てない認定である。単なる一例ではあるがもっと深く研究がなされなければならない事柄である。
 唐の詩人が詠じた「年々歳々花相似たり 歳々年々人同じからず」まさに、そうであることを願うものである。

社会福祉法人 大阪障害者団体連合会 理事長 樋口 四郎

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